終わらぬ苦海
―魂的なものを大事にしながら生きてきた水俣の漁村の姿は『苦海浄土』の基調となる風景ですが。
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「生きっぱなし」とは、いわばゴールの3メートル先を目指すランナーの姿勢、腎臓癌を克服した著者が到達した死生観である。
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今の日本のプロ野球を考えるとき、MLB、世界、日本と関連付けることが必要不可欠なようだ。パラダイムは確実にシフトしているのだ。
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それで、疲れちゃって、8年前、無性にひとりになりたい、自由になりたいと思って別居したわけです。トランクひとつで出てくると言えば、さびしいイメージなんだけど、まだ春浅き頃、東京に借りた家にチーズとワインを買ってきて、新聞紙を敷いて飲んだ。それで、私の本当の何かがジワッと戻ってくるような気がしました。
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『痛みの文化史』という厚い本があります。そのなかで著者のモリスは、これまでの医学は痛みを取り除くことに努めてきた。その結果、急性の痛みは取ることができたけれども、人間が本来もっている慢性的な痛みはまだ取れないし、それを取ろうすることで、かえって医学は別の痛みをつくっているのではないかと主張しています。
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病院に行くと、「最高血圧は一二〇で、脈拍は七〇です。ハイ、大丈夫です」などと言われます。ふつうは、それでホッとしてしまいますが、じつはこの「血圧一二〇、脈拍七〇」というのは、体内で心臓が一生懸命に働いてくれて、たいへんな労力を使って保たれている数値なのです。
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私は医者になりたての30歳当時、自分の死の設計図を書き始めました。毎年少しずつ書き直し、30年になります。私が受け持っている患者の性格を見極めたうえで、患者さんにも「設計図書き」を勧めることがあります。私の身内にはがんで死んだ者が多く、私も死ぬときにはがんに違いないと確信していました。ただ、それが結婚して間もなくの30歳で訪れるとは思ってもいませんでした。(中略)
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たかが襟である。が、地唄舞の武原はんは襟の抜き加減に命がけだったし、女形の玉三郎も全神経を使っている。あの人たちにとって襟というのは、自分の性そのもののイメージであり、同時に演出でもあるのだ。
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自律神経は、健康なときにも、一定レベルに固定することなく、シーソーのようにいつも揺れ動くことによって、からだの偏りを防いでくれる。
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一緒にいると安心感があった。50メートル先で人が死ぬ現場を見ても、地雷が近い場所にいても、夫のアドバイスを信じていた。
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バッファロー・ハンプ(buffalo hump)とは水牛の盛り上がった肩のこぶのように人の肩にできることのあるこぶのことである。特に、中高年の太った女性にみられるが、これができるような人たちは肩の激しいコリを訴える。最近、福田稔先生が肩こりの鍼治療(刺絡療法)をやっている過程で、このバッファロー・ハンプ形成の謎が解けたということなので、紹介しておこう。
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イメージ療法といえば、日本では古くは「軟酥(なんそ)の法」というのがありました。軟酥は平安時代から作られていたチーズのようなもので、貴族たちは薬用にもしていました。そういう高貴なものを頭の上に置くとイメージする。
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芙美子が死んだ六月二十八日の、前日は「主婦之友」の企画「私の食べあるき」取材第一回だった。同誌に連載していた『真珠母』がうけていて、芙美子のほうから「名料理を食べ歩く」企画がもちこまれた。
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ストレス学説の創始者ハンス・セリエによると、ストレスとは「すり切れ現象」であるという。ストレスという言葉には、押したり引っぱったりする物理的刺激に対する反応から、精神的な負担感といった広い意味が含まれており、必ずしも本人に自覚されていない場合もあるが、要するに、その人の持っている能力を超えた刺激によって、心やからだがすり切れることを指している。
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大尉は私が小説家であることに興味を抱いたので、私は日本語には漢字とひらがなとカタカナの三種があって、小説家はその三種を縄のように編んで文章を書くのだが、主語が無数にある。
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山田風太郎の回想では、酔って三人の知人と花園歓楽街へ行き「ちかくの某店の二階によりて痛飲。女全裸となりて酒のみ、先生大いに恐悦せらる。その稚気敬愛すべし」(『十五年前』)とある。
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米国で使われている日中眠気を測るテスト
決して眠くならない・・・(0点)
ときに眠くなる・・・・・・・(1点)
しばしば眠くなる・・・・・(2点)
眠くなることが多い・・・(3点)
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西洋医学にも東洋医学にも、それぞれ長所や短所があり。どんな素人にもわかる言葉でそれぞれの長所と短所を明らかにし、現代医学の未熟さを少しでも成長させたいと思っている。
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起きているときには、自律神経による無意識のコントロールとともに、脳が監視装置になってモニターをし、適切な指令をだして体の操縦をしています。体が寒いと感じれば、「服を着なさい」という命令をだしますし、喉が渇いたら「水を飲みなさい」という指令を筋肉に出します。
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最近外国の図書館に入って医学書、特に四〇〇年以前も昔のものを見る機会があった。するとヨーロッパの医学書でも、薬草の写実的なスケッチとその薬効の記述が延々と続いており、百科辞典のような厚さの大部分を占めていることを知った。私は薬草学は、漢方薬を用いたいわゆる東洋医学のように東アジア特有のものかと思っていたのでびっくりした。
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雨の日はしょんぼりして夕方お酒を飲みたくなる。しかし、お酒を飲んでもなかなか元気がでず、なかなか酔いがまわってこない。逆に、結婚式があって、お昼から酒を飲む機会がある。そして、この日が結婚式びよりでお天気のよい日はあっというまに酔っぱらってしまう。
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眼がさめたとき、私は何故か死体のことを考えた。最前線では起こらなかったことである。安全な後方へさがってからかえって痛惨を思い起こすのはどうしてだろうか。あそこでは私は自身に憑かれていず、いつも体を正面の方角に向かってひらき、よこたえ、立たせていたが、堅固で静かなこの白い壁のなかには方角が何もない。それを決定しようとして或る強い力が背をもたげるのだろうか。私は壁にもたれてタバコに火をつけ、記憶をまさぐる。
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幼い子どもは、脳と身体が、もちろん神経系では繋がっているが、ホルモン系からみるとバラバラである。だから、たとえば身体が疲れると、たぶんもっと起きていたいのだろうけれど、どこでも、どんな姿勢でも、コトッと寝てしまう。また幼児には、たとえば恨みが骨髄にまでしみこむほど何年も持続するという記憶機構はない。次から次へと発生する初めての体験に一所懸命になり、その直前の出来事はもう覚えていない。
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人間には、それぞれ体癖(体型)というものがある。私が患者の体を触ってみると、その人の過去にさかのぼって生活なり生き方が想像できる。
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彼女は満足して静かに笑い、皺くちゃになったシーツへおだやかに、けれど元気よく体を倒した。彼女は小声で鼻唄を一節か二節うたい、眼をつむったり、睨んだりした。ミルクをたっぷり吸ったあとの仔猫のようであった。川を流れていく溺死人のように私はのびのびと手足をのばして眼を閉じた。軽い、とろりとしためまいは波がゆれたのか。
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円形脱毛症とストレスとは関連があると言われることが多い。二人の医師が学会で正反対の発表をするのを、時を違えて聞いたことがある。
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かつて京大の農学部におられた大槻正男先生が随筆を書いておられて、そのなかに「がんばる」という一章があったのです。大槻先生の説によると、「がんばる」というのは学生用語だったのだそうです。明治の末に学生が寮か何かで使いだしたというのが大槻先生の記憶のなかにある。
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菊池寛の破天荒さは、現在の出版社からは、ちょっとはかりかねる。他人への親切の度合も大きいし、喧嘩も派手だ。寛は『私の日常道徳』でつぎのように言う。
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宇野千代と萩原朔太郎は若い時分、東京は馬込のあたりをよく一緒に散歩したという。千代によれば、朔太郎の話は不思議なことに、すべて浮世のことではなく、現実を離れた抽象世界のことに限られていた。
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解剖学的にみていくと、骨格筋は「関節をまたいで二つの隣り合う骨にくっつき連動させる役割をしている」とばかりは単純にいえない。
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直感に反する確率問題の一つに、誕生日が同じになる確率を問うものがある。サッカーの競技場に、選手とレフェリー合わせて23人の人間がいるとしよう。この23人のうち、どれか二人の誕生日が同じになる確率はいくらになるだろうか?
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次の作戦の時には結核を治してやろうと思ってB・C・Gをたっぷり持っていった。南の日光にまどわされて気がつきにくいのだが、ここでは結核がひどいはびこりようなのである。五人か一〇人に一人はきっと結核患者である。
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私たちには子どもがいないので、へんに何か残して死ぬのはいやだから使い果たして死のう、人生プラスマイナスゼロで終わろうということで、自宅や別荘を処分して、ケアハウスをつくったんです。
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林 路上観察が骨董の世界
赤瀬川 僕も意外で驚いたけど、でも骨董というのは、本当は名もない物のなかから、自分の目でいい物を引っぱり上げることなんですね。「路上観察」も、道を歩いていて「あ、おもしろい!」と自分の目で感じるかどうかが始まりだから、言われてみれば、白洲さんの骨董の世界と同じなんですよね。
林 なるほどー。
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ブランド品によっていくら優越戦争をしても、それはエンドレスであるし、上には上がいるということを中村うさぎと桐野夏生は教えてくれた。
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これまでの画像診断による検査法には「CT」(コンピューター断層撮影法)や「MRI」(磁気共鳴断層撮影法)などがある。こうした方法と比べてPETはどう違うのか。
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日本でもすっかりおなじみとなったウィーン少年合唱団だが、実はいま、大きな転機を迎えているという。
→ウィーン少年合唱団公演プログラム
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くつろぎのポーズをとって、全身を部分から部分へと少しずつ意識的にゆるめていきますと、しまいにからだが溶けてゆくような感じになります。顔も溶解して溢れるように涙が流れ、あくびが止まらなくなります。それだけわれわれは、日頃から顔を緊張させ、顔を作っているのです。
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アメリカはわたしを公式に認めてくれた最初の国でした。依然としてわたしがヨーロッパで排斥されていたときに、クラーク大学はわたしに名誉学位を授与してくれました。しかし、アメリカには精神分析の独創的研究論文がほとんどありません。
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蛍光灯の蒼白な光のなかでも大尉はたくましかった。ベッドに腰をおろして日報をつけているだけなのだが橋のアーチのように背がたわめられ、純白のTシャツのしたで数知れぬ筋肉の群れがミシミシと音たてて争いあっている。
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日本文化のなかに外国人が不思議に、あるいは不気味にさえ思うようなエネルギーがあるのは、その文化のいろいろな構成要素の間に調和がとれていない。それぞれの間にいろいろな葛藤が起こっているということ、それが若さを生み出しているのであって、それが一種のエネルギーであるというふうにいえる。
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糖尿病患者が歯周病になりやすいことは知られていたが、歯周病が全身の病気に及ぼす影響が疫学調査によって明らかになってきた。
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映画はね、大衆のものでね、みんなが観るものなんですね。みんなが観るから好きなのね。東京の人、大阪の人、京都の人、神戸の人、佐賀の人、北海道の人。みんな観るのが好きなのね。だから一生懸命つくる。映画の命はそれなんですね。
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かぐや姫はあきらかに「結婚したがらない娘」という、神話タイプに属しています。娘が結婚してよその家に出ていきますと、両親はなにかを失ったような喪失感におそわれるでしょうが、そのかわりに(昔の社会では)社会的広がりが獲得されました。
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一九六〇年代まで、脳の研究は戦死した兵士からデータを集めるのが主流だった―材料が手に入りやすいからだ。ただしこのやりかたには問題があって、対象が男に限られてしまう。そのため当時は、女の脳も男と同じはずだというのが、研究を進めるうえでの暗黙の了解だった。
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人の心が外界の景物に感動しておのずから書をなしたという。空海の書もそうであり、かれにとって万象に対する感動がその書に籠っていたといっていい。
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葬儀の前に、ご遺体をきれいにし、腐らないようにする。それが「エンバーミング」と呼ばれるものだ。美しい死体を作る、それがエンバーミングだ。
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大腸ガンというのはふつうだが、小腸ガンというのは、まずない。なぜそうかと言われても、わからないところがある。しかし、大腸は食べ物の残りかすが、かなり長時間滞在するところだから、いろいろなことがあってもおかしくないような気もする。
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インタヴューは八時四十五分に開始された。後にブランドンはこう回想する。「ジュースを一口飲んでから、ケネディは時間を無駄にしたくない、始めてくれと身振りで示した。間際のあわてた質問もなく、もったいをつけたところも、条件付けも不安そうなところもなかった。すべては日常的な仕事の一部のようだった。ここにいるのは、自分の任務を知っており、それを楽しんでいる政治家だった」
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節子夫人の金銭出納簿には、朝日新聞社の佐藤編集長が社内有志十七名の見舞金として、三十四円四十銭を持ってきたことが、収入の部分に記載されてある。森田草平を介して、会ったことがない漱石夫人から十円と征露丸が届けられた。
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携帯の音で目覚めたらしく、秋田がむっくり起き上がり、時計をみながら 「もう、焼けた頃じゃろう」と、言って立ち上がった。
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よくテレビドラマなどで、退院して行く患者さんを医者や看護婦たちが病院の玄関で見送るシーンが出てくる。礼を述べ、頭を下げながら帰宅の車に乗る患者さん。満足そうな笑顔を向ける医師、看護婦たち。
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血液の循環は、「行き」は心臓のポンプの圧力が高いので、動脈を通って、足の先から頭のてっぺんにまで血液は自然に押し出されていきます。そして「帰り」は、ソラコ・アブドミナル・ポンプと、静脈弁という弁の力で逆流しないように心臓まで戻しています。
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ニーチェの「身体論」が登場したのとちょうど同じ時期に、西洋で(いち早く産業革命を経たイギリスを中心に)スポーツのルールや組織が整えられ、近代スポーツが誕生した。
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慢性筋肉疲労による自律神経の誤作動で病気になるというケースのほかに、慢性筋肉疲労がリンパ液の流れを阻害して内臓疾患をきたすという、また別のメカニズムもある。
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どえらい自慢ばなしや馬鹿ばなしを、調子にのって書き下ろしてしまって、ホット一息つくと同時に、後悔の念がむらむらとわきおこってきた。そこで、蛇足ながらこのあとがきをつづって、世の諸賢にお詫びがてら申し開きをすることにした。
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テレビ番組で、頭痛を専門にしているという偉い先生が出て緊張性頭痛と片頭痛の違いを説明していた。それによれば、前者は目の疲れなどによって頭、首、肩など筋肉が緊張して起こる痛みであり、後者はズキンズキンする血管拍動性の激しい痛みであるというものであった。
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わたしは、ハンブルグから八キロほど離れた郊外にある、有名なハーゲンベック動物園にでかけた。ここは、いろいろな動物を、自然の棲息状態でみせるようになっている。あいにく、冬の寒さのために、動物たちの多くは冬ごもりちゅうで、エア・コンディショナーのついた文化的温室のなかでねそべっていた。わたしの目的は、野獣のクソをひとわたり観察することであった。
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本物の「死体」を標本にした展示会が、若い女性を中心に大盛況だ。一方では、「身体改造」という刺激的なテーマが純文学の世界にも浮上してきている。クリーンで安全で快適な社会に暮らす現代人が、なぜ、生々しく、時にグロテスクにさえ見える「身体」に、強く惹かれてしまうのだろうか?
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「38は、10が三つと1が八つでできている。308は100が三つ、10が零、1が八つだ。10の位は空いている。その空席を、0が記号として表示してくれているんだ。分かるね」
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炉のように熱い毛布のなかで素娥の体のそばによこたわり、うつらうつらしていると、ふいに激しい寂寥をおぼえる。心臓のまわりにとつぜん暗い海がわきあがってのしかかってくる。
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少し前の『ライフ』を読んでいたらカルトハル(だと思う、正確にはCaltojar)というスペインの小さな村の写真が載っていた。この村はマドリッドの北西約百六十キロにあり、人口は二百七人、電話は村じゅうに一本しかない。人々は豆を作ったり、羊を飼ったりしている。すごく平凡な村である。
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大リーグのチームには、いろいろおもしろい名前がついています。たとえば、野茂が所属していたロサンゼルス・ドジャース。いまでこそ本拠地はロサンゼルスですが、以前はニューヨークでした。チームの本拠地ブルックリン地区には路面電車=トロリーがあり、地元の人たちは、路面電車を避けて歩いていました。
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火山の周囲には「イオウ」が豊富にある。木をむし焼きにすると「木炭」ができる。「硝石」と呼ばれる鉱石が、至る所に分布している。このイオウ、木炭、硝石を混合して点火すると、イオウと木炭が硝石の酸素と反応して瞬間的に燃えあがり、爆発的なガスを出す。
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受傷直後の靭帯損傷と異なり、陳旧性の靭帯損傷では、靭帯そのものが薄く質の悪い靭帯に変化していることが多いので、これを縫い縮めたり縫い合わせても症状が軽快しないことがあります。
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この物語は、研究にたずさわる者が直面するジレンマの一例を見せてくれる。ある研究者がひとつの問題について長年研究をつづけて、苦労して得た豊富な実験結果を手にしているのだが、あと一歩ですべてが解決しそうなので、そのときを期して、研究成果の発表を控えているとする。
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司馬 鎌倉といえば、源実朝というすぐれた歌人に「たまくしげ箱根のみうみけけれあれや ふた国かけてたゆたふ」という有名な歌がありますね。この、心を「けけれ」と言っているのが面白い。
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ものはそれぞれ固有の形をもっている。色と同じように人間はその形を認知してさまざまに判断や感情に変えていくのだが、その過程において一定の法則がある。
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病的なまでに肥満した人が贅(ぜい)肉を減らすのは、容易なことではない。だがもうすぐ、楽に肥満を解消できる日が来るかもしれない。新開発の装置を使って胃に電気パルスを送ると、満腹であるかのような錯覚を起こせるという。
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「歯科治療には多くの高度な技能が求められる。それが私の武器の1つだと思う――私は常にそうした技能を楽しんでいる」とラフローム氏は言う。
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ダンカン・フォロウェル(以下D・F) 物書きとしてのあなたと、行動の人としてのあなたで、何か対立する部分というのは?
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家の藤棚が重い花房を下げるころになると、佐藤惣之助をよんで、藤見の宴会を開いた。この日ばかりは、いつも機嫌が悪い朔太郎の母も、文句ひとつ言わないで、たすき掛けでまめに働いたという。
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ブラジル音楽は多くの音楽が融合して出来たもので、豊穣で多様性に富んでいます。聴いた人を特別な心理状態に導く。意識と無意識の間にいざなう。眠りに落ちる寸前に名案がひらめくことがあるでしょう。それと同じです」と、ヨーヨー・マ。
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香水づくりは、きわめてむずかしいらしく、まごまごしているとせっかくの芳香が逃げてしまうという。また、花をつむ時期にもこつがあるらしく、あまり早朝では香りが淡いし、日がのぼってからでは香りが逃げてしまうらしい。
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人っておもしろいわね。質問しておいてこちらが正直に答えるとびっくりするのね。一度こんな質問があった。「寝るときは何を付けますか。パジャマの上だけ? 下だけ? それともネグリジェ?」私の答えは「シャネルの五番よ」。でも本当なんだからしようがないわ。「裸」といいう言葉が使いたくなかったということはあったけど、事実は事実でしょ。
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「身体能力は鍛えつづければ維持できる。陸上の場合、休養の大切さが分かってきたり、精神的に安定感が出てきたり、30代になってから伸びる選手も多い。かけひきは戦術など経験がものをいう競技ですから」(スポーツライター・折山淑美さん)
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クソの質からいうと、菜食民族のクソはお粗末で、肉食の民族のクソは上等である。下肥をつくって作物を育ててみると、欧米人のクソは、日本人のそれより作物を二倍も大きく育てる。終戦後、アメリカ軍のキャンプの付近で、農民がふところを肥やした秘密は、どうやらこのへんにあるらしい。
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肝臓は、ある意味では、きわめて原始的な臓器である。その再生力は驚くほど強い。ネズミでは、肝臓がいくつかの分離した肝葉に分かれているので、肝臓の一部を容易に切除することができる。一説には、一二分の一まで、肝臓を取り除いても、なんら明瞭な機能障害が認められなかったという。さらに、しばらくすると、こうした肝臓は、もとの大きさまで戻る。
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女子高生が「なにか、もう済んだ感じ」「ぜんぶ見えちゃっている」「心がツルンとして引っかかるものがない」とつぶやけば、初老の妻たちはおそらく「なんか、ものにならなかった」「一度も燃えることがなかった」「このまま一生終えるんだろうなあ」とためいきを漏らす。そんな両者の心を、トパーズの指輪を盛り場の宝石売り場で見つけ、痛切に欲しくなって、援助交際を決意するシーンと、初老の妻たちのあせりを文章に見る。
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歳をとったら子供が積極的に世話をしてくれる。あるいは嫌々ながらでも世話をしてくれるなら、それに越したことはない。ただ、身内や人を雇って世話をしてもらうことで老人介護の外堀は埋められたとしても、内堀というか、介護をする人と受ける人の信頼感の問題が残ります。
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姉は「がんはお金」といいます。冗談半分、本気半分。闘病費用もさることながら、お金の心配、ストレスは病気を招く、と思い込んでる。
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うまいとか下手ではなくて、書は顔ですから。ただ、顔は自分では見られない。鏡に映ってるのは左右逆だし、写真は間接的なもので、生では見られない。でも、字は自分で見える、醜さも含めた無意識もさらけだされますから。そういう意味では顔より怖い。本物か偽者か、ものすごく出ますね。
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ルソーの晩年の著作『孤独な散歩者の夢想』を読んでぎょっとなった。「わたしは、人間の自由というものはその欲するところを行うことにあるなどと考えたことは決してない」(今野一雄訳)
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山頭火はいささかも悟らず、脱俗しきった形跡はない。したたかであり、欲の人である。だからこそ珠玉の句が生れた。山頭火で有名な句は、
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人間のテロも怖いですが、自然のテロも猛威をふるっています。チンパンジーとゴリラが、捕獲とエボラ出血熱ウィルスのために絶滅の危機に瀕しているといわれています。もちろん感染したゴリラの肉を食べた人たちもたくさん死んでいます。
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そうだ。この機会に人間の身体の矛盾を徹底的に考えてみよう。日々の苦しみのうちで、かえって慰めになるだろう。そう自分を励ましていました。
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朝日新聞(昭和六十三年二月二十六日付夕刊)は、<簡約日本語/外国人のため"発明"します/国立国語研三年がかりで>という大見出しを掲げて、国立国語研究所の"加工日本語"研究計画について報道している。
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正直に言うと、私も数年前までは、世間の常識に沿って、「家庭にしつけはダメになっているし、親たちはしつけを学校まかせにするようになってきている」と、すっかり信じこんでいた。そうした「常識」に疑いを抱くようになったのは、ある日、大学図書館の書庫の中で何気なく手にしたある調査報告の結果を見てからであった。
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骨、軟骨、靭帯、腱は、堅い結合組織であり、この順番で柔軟性を増してくる。一方、血液、リンパ液、脳脊髄液は液体の結合組織である。この二つのタイプの中間で、液体でもなく固体でもないのが筋膜であり、身体の結合組織の大部分はこの筋膜で構成されている。
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「もし私が神だったら、青春を人生の最後にもってきただろうに」という言葉があるそうです。大兄は人生の最後に青春を持つことを望まれますか。
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自殺といえば、三島由紀夫(1925~70)も市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺してセンセーションを巻き起こしました。彼の割腹自殺についていろんな解釈があって、渋沢龍彦(1928~87)の解釈でいうと、同性愛と自己愛の極致ということになります。
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江藤淳は、なかなか「死」に際がすっきりした人だなと思いました。遺書みたいなものがありましたが、あれはいい文章だと思っています。
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川端康成(1899~1972)は、自ら命を絶ちましたが、僕はあの人はなんとなく自然死という感じがしています。ごく自然な感じで、自らの死の方向は浸透していったような静かな死に方だと思いました。
→ウイスキーを飲む稽古
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夏目漱石(1867~1916)は死ぬばかりの病気になって、奥さんや子供たちに囲まれ、「もう泣いてもいいよ」といったそうです。これは伝説で、確かめないといけないんだけど、それで娘さんが泣き出した。本当だとすれば、漱石は「死」に際してその意識は割合に明瞭だったわけですね。
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文学者は「死」とどう向き合ったのか。例えば、森鴎外(1862~1922)は平凡といえばおかしいけど、家族に看取られながら死にました。ただ、鴎外の遺書みたいなものを見ると、「石見に国の住人、森林太郎」とだけ墓石に刻んでくれればいい、他の位階勲章等はいっさい書いてもらっては困る、その旨言い残しています。
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壁に鏡をぶら下げた路上床屋の前を駆け抜けた時、泥にまみれ道に散乱している髪の毛をぼくのシューズが踏みつけていた。ひどい罪を犯している気がした。どうしてだろう、ぼくというフィクションが、現実を蹂躙しているように感じる。
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オーストリアの王家、ハプスブルグ家の埋葬方法は非常に特殊でした。死体から心臓だけ取り出して、わざわざ銀製のケースに入れて教会に収めていました。
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日常的な感じがうまく出たらいいなと思っていました。いろんなタイプの小説があると思うんですが、これは波乱万丈のストーリーではないんですよね。
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明日は東京湾上に於いて調印に候。「日本も日本人も生れ変るを要し申し候」が重光の心境であった。九月二日、宿舎の帝国ホテルで午前三時起床。身の回りの世話をしてくれているのは女中頭のお年さんで、この日も午前四時には部屋に来、お茶を淹れてくれ、着る物を手伝ってくれた。
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これまでの人生で先生もいろいろな人物に会ってこられたと思いますが、最も感銘を受けた人はどういう方だったですか。一人だけ挙げてください。ぼくは、できることならその人の真似をして、人生を送って生きたいと思います。
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「胸が締めつけられる」「胸が焼けるよう」「胸が強く圧迫されるよう」など、いろいろな表現があります。しかし、これらはあくまで主観的な表現ですから、これらの表現をあまり詳しく覚えないほうがいいと思います。というのは医者のなかには(中略)、先入観を持って診断してしまう人もいるからです。こうした表現に惑わされて、さまざまな病気の可能性を疑わない医者もいて、訴訟になっている場合もあります。
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私たちの人格は、繰り返される習慣の結果として育成されるものである。昔の格言に「思いの種を蒔き、行動を刈り取り、行動の種を蒔いて習慣を刈り取る。習慣の種を蒔き、人格を刈り取り、人格の種を蒔いて、人生を刈り取る」というものがある。
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先生。昔、三升家小勝という落語の名人がいて、高座で卒中で倒れ、楽屋で息を引きとったと聞きましたが、いまわの際に、「冥途にも、粋な年増がいるかしら」と言ったとか。この芸熱心というか道化精神というか、遊び心というか―に感動するのですが、その種の辞世の言葉で傑作があったら、いくつか教えてください。
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宮尾 あの時代の女の人は大変だったと思うのよ。私ね、あのころの男の人の遊びを読んで、腹が立って、腹が立ってね。婚姻なんていうのはどうでもよくて、上の位の男性は嫡妻、本妻、妾妻と、いろいろと許されてる。上の位はまだいいわね。下の者なんて、男女の関係になって子供が生まれても、責任をとる男はめったにいなくて、たいていはほったらかしよ。みじめなものですよ。
林 お金ももらえないし、子供を産んだら、はい、さようなら・・・・・・。
宮尾 そうですよ。私、いままでに女の生涯を題材にした小説が何作もありますけど、いつも書くときに、「この女の人は幸せであったかどうか」ということを常に考えながら書いてきました。「平家物語」の女の人は、最も幸せでなかったわね。いまの私たち平成の女の人がいちばん幸せ。林さん、そう思わない? あなたなんか、五重丸の幸せよ。全部満たされたでしょう。
林 先生、そんなことないですよ。人間、欲が深いですから。
宮尾登美子/マリコのここまで訊いていいのかな『週刊朝日2004.6.11』
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戦後、経済成長のなか、一般の家庭でも豊になり経済規模が膨らんで、縮小できなくなりました。みんなローンを抱えて、子供には高い教育費を投資している。そのなかで置き去りにされたのが、ゆっくり考える、人間らしく生きる、モノをもったいないと思うといった心性です。生きにくくなるのは当然です。
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