オリンピック運動の限界
クーベルタンの提唱した「オリンピック運動」は、19世紀末のブルジョワ思想の域を出なかった。保守的で先見性に欠け、時代の進歩とともに錯誤が際立ち、普遍性を獲得できるものではなかった。
クーベルタンは、思想家としてあきらかに二流であり、ナチス・ドイツの宣伝と化したベルリン・オリンピックを、その整然とした外観だけから賛美し、晩年にヒトラーから与えられた高額の年金で生活していた、という事実からも納得できる。
が、けっして皮肉でいうのではなく、その程度の思考から世界平和という実現不可能の大理想を掲げたからこそ、近代オリンピックは、今日まで生きながらえたともいえよう。
ナチスによる政治利用も、2度の大戦による3大会の中止も、人種差別問題に端を発した第21回モントリオール大会におけるアフリカ諸国のボイコットも、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に反対した西側諸国による第22回モスクワ大会のボイコットも、その報復としての東側諸国による第23回ロサンゼルス大会のボイコットも、さらに過度の商業主義が招いた開催地決定にまつわるIOC委員の金銭感覚も、すべて、IOCの発足と第1回アテネ大会以来、内包されていた問題といえるのだ。
問題が表面化されるたびに、オリンピックの危機が叫ばれた。が、それでもオリンピック大会が継続したのは、その時々において「時代の波」に乗った(流された)からだった。
玉木正之『スポーツとは何か』講談社現代新書P54
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