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2004.05.16

生への畏敬

1977年には病院死が在宅死を上まわり、いまや日本人の大部分は病院で死ぬ時代になってしまった。とりわけガンの患者は九〇パーセント以上が病院死になっている。その結果、人々は死というものを非日常的な空間に隔離し、生・老・病・死という人間の一生の営みを家のなかで起こるひとつながりのものとして、幼少期から自然に学んでいくという機会を失ってしまった。
柳田邦男『「死の医学」への日記』新潮社1996年刊

 一昨年、自宅で娘さんと四人のお孫さんに手を握られながら、やさしく見守られて死んでいったおばあさんがいた。その四人のお孫さんたちは、後日お会いした時、異口同音に「おばあさんは私達に、死とは何かを教えてくれ、いつまでも私たちの心の中で生きつづけていることを示してくださいました」と述懐していた。その四人に私が「今までは死というものをどのように理解していたのですか」と尋ねたら、「今までは、テレビなどでみるように、病院で点滴の管に囲まれて、お医者さんがいろいろせわしく処置しているうちに死んでいくもの、そして家族が駆けつけると白い布が顔にかかっている状態というイメージでした」と答えた。「人は土から生れ、土に還る」と言われるが、現実の日本ではそのような「自然の摂理の中の死」という感じはない。まさに「病院から生れ、病院へ還る」のである。これでは「生への畏敬」も生れない。

佐藤智『「生きる」そして、「死ぬ」ということ』経済往来社1985年刊

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