マリリン・モンロー
マリリン・モンローの出発は嗤うべきものであった。
二十世紀FOXが、本格的にモンローを売ろうとしたのは「ナイアガラ」(1953年)である。横たわったモンローのネグリジェがそのまま滝になっているポスターは、すぐに東京の都電の中にひるがえった。
同年六月に映画を観た大学三年のぼくは失笑した。その正直な感想。
<・・・・・・マリリン・モンローのエロティシズム(?)と称するのもお寒いもので、尻を振って歩き出すと、突然、音楽がホットになり、観客はゲラゲラ笑い出す。赤いドレスで「キッス」をうたうシーンなど、マッカーシー治下のアメリカ文化ここにあり、といった眺め。イタリア映画の土くさいエロティシズムはよいものだが、これはまるでインポテンツみたいであった。>
いわゆるモンロー・ウォークは、日本の観客を失笑させるものであった。念のため「朝日新聞」の<純>氏の批評を見ると、
<腰を振って歩くマリリン・モンローの後姿はエロよりもグロ・・・・・・>
と、手きびしい。
大新聞の批評がなんだ、という読者のために、双葉十三郎氏の「ぼくの採点表Ⅰ」の「ナイアガラ」評を引用する。氏はこの映画はすべて余興であると断じて、モンロー・ウォークを、
<ぼくなどはエロというより滑稽な見世物みたいな感じがした。>
年齢・立場のちがう三人の意見が、これほど一致するのも珍しい。
小林信彦/本音を申せば『週刊文春2004.6.3』
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