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2004.05.04

文明と文化

日本は精神の安らぎのための不合理な習慣でつまっている。そういう文化の累積とその共有が、自然にクニの形をとったのが、地上のほとんどの国の場合である。

 ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的のもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他には及ぼしがたい。つまり普遍的でない。
 たとえば青信号で人や車は進み、赤で停止する。このとりきめは世界に及ぼしうるし、げんに及んでもいる。普遍的という意味で交通信号は文明である。逆に文化とは、日本でいうと、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあけてもいい、という合理主義はここでは、成立しえない。不合理さこそ文化の発光物質なのである。同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に秩序についての安堵感をあたえ、自分自身にも、魚巣にすむ魚のように安堵感をもたらす。ただし、スリランカの住宅にもちこむわけにはいかない。だからこそ文化であるともいえる。
司馬遼太郎『アメリカ素描』読売新聞社P39-40

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