国の成り立ち
アメリカだけが逆だった
多くの国にあっては古代以来の文化が累積し、近代に入ってやっとその上に法が載るようになった。法によって日本やフランスや韓国やデンマークなどができたのではなく、もともとそこに人間の組織があって、近代に入ったがために近代の法で再秩序づけされたにすぎない。
アメリカだけが逆だった。広大な空間を法という網でおおい、つぎつぎに入ってくる移民に宣誓させ、その法に従わせるということで、国家ができた。
つまりは、はじめに法があり、そとで人がきた。たとえとして唐突だが、巨大な体育館のような国である。
この稿でくりかえしてきているように、慣習が文化であるとすれば、体育館の屋根(法)は万人のために雨露をふせぐという点で普遍性そのものである。その意味で法は文明の典型的なあらわれ方であろう。
アメリカにあっては、文明だけで国ができている、などということを、文化(慣習)の充満した他の国びとは想像できるだろうか。私どもの多くは、文化(慣習)のまにまに生きていて、結構法を犯さずにすんでいる。あるいは民事弁護士の厄介に生涯ならずにすごすこともできる。民事というのは、要するにカネをめぐる法律行為である。
司馬遼太郎『アメリカ素描』読売新聞社P167-168
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