長寿文明へスタートした年
大正10年は日本の大転換期、そこに絡む後藤新平という人物
日本の安全な水の原点は、シベリア出兵と後藤新平にたどり着いた。あの悪評高い日本陸軍のシベリア出兵がなかったら、この液体塩素の誕生はもっと先になっていた。さらに後藤新平という人が、その時代の日本史の舞台に立っていなかったら、水道水の塩素殺菌はもっと先送りになっていた。それまでの間、何十万人、何百万人の幼児が水道水で死ぬことになった。
「細菌学者」後藤新平は「シベリア出兵で液体塩素」と出会った。彼は「東京市長」となり、東京水道の現状を目撃した。「政官界で力」を持っていた彼は、陸軍を抑えて軍事機密の液体塩素を民生へ転用することを図った。
これらの条件の内、どの条件が欠けていても、大正十年に安全な水の誕生はなかった。日本はこの大正十年に、世界でもまれな長寿文明へ向けてスタートを切った。
大きな文明も、このような小さな個人の運命の偶然の上に成り立っているのだろうか。
何ともいえない不思議な思いにつつまれてしまった。
竹村公太郎『日本文明の謎を解く』清流出版P128-129
| 固定リンク
「生死」カテゴリの記事
- ヨーロッパで生まれた死へのシステム(2012.05.28)
- 死の実感(2012.05.27)
- 段ボールの棺(2012.05.26)
- 5つの自殺予防因子(2012.05.22)
- 1日20体(2012.04.17)













コメント