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2004.04.06

げに恐ろしいものは

死者と世者の世界

 人生に於いて怖るべきものは何であるかに関する英雄シュウサンの意見 
寺へ行くには、村人が大門と呼んでいる長い参道と杉林を越えて登って行かねばならない。参道の右はくぬぎ林、左は墓地になっている。
 ある晩のお日待(集り)のとき、オセイチャンは云う。
 ―よく云うじゃねかよ、先生、誰か檀家の衆が死ぬと、本堂で音がするって本当かよ。
 ―どうか知らんよ。人が死ななくっても音だけはするようだな。夜中に本堂がみしみし云ったり、周りで狐が鳴いたり、寝られない鳥が何処かで鳴いたり。
 ―そうかよ。わたしだったらおっかなくて、一晩もいられたものじゃあねえよ。ほんによ、こんなに晩い闇の夜に帰って、先生おっかなかあねえのかよ。お墓の下を通るのはおっかなかんべえがよ。
 ―何でお墓が怖いのかよ。石じゃあないか。
 ―そう云えばそうだがよ。おらあ厭だな。
 そのとき英雄シュウサンが口を出す。
 ―そうよ。死人なんか何でおっかねえかよ。おらあ、ほら、長さんのせなの死んだときよ。焼場まで棺桶を背負って行ったが、おっかなくも何ともありゃしなかっただ。ひ死んじまえば、なあ先生、動きも何にもしはしねえんだからな。怖えのはおめえ、生きている人間だあ。
 実に然りである。シュウ勇士のこの言葉は、それに一つの文体を授ければ、正にロッシュフーコーの 箴言集の域を摩する概がある。シュウサンが他人からの伝聞でなく、自ら人生の経験の上に思想して、怖るべきものは死者に非ず、世者なりと考え出したとすれば、これだけでこの英雄は瞑してよい。
 更に附言を許されるならシュウ英雄のこと言葉の偉大さは、それが過去と現代との相違を明白に表現しているところにある。即ち過去は死者の恐怖に於いて生活し、現代は生者の恐怖に於いて生活しているのだ。このことは過去の政治と宗教、現代の政治と社会運動を考えれば明らかである。
きだみのる『気違い部落周遊紀行』冨山房百科文庫P73-74

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