利根川東遷
あまり知られていないことだが、利根川の東遷というのはご存知かな。利根川河口域を地図で見るとな、ナイルデルタと形が似ているが、あそこは岩盤で、いわゆる三角州ではないのだ。不思議に思わないかな。銚子の屏風ヶ浦は東洋のドーバー海峡とさえ呼ばれているそうだぞ。
さてさて徳川家康公にご登場願おう。彼が最初に江戸に入ったのが1590年のこと。家康は年中鷹狩りと称して、野外調査に行っていたらしい。そこで、栗橋の地を切り裂いて利根川を銚子まで持っていく壮大な計画を立てたのじゃそうだ。
なぜ利根川東遷を実行したかというとな、①大洪水対策として河口を銚子へ誘導した、②伊達藩の南下防止のためのルート遮断、③船上交通の利便性を上げる、などいろいろ考えられるが、とにかく江戸湾に流れていた利根川を銚子のほうに持っていったという家康の構想力に素直に拍手だな。
その結果、大湿地帯だった関東平野が乾いてきて、日本一の穀倉地帯になってくる。十九世紀末、欧米列国に囲まれた日本が植民地にならなかった多くの理由の一つが、日本中の叡智と力を集中させた関東平野があったからだといえる。日本の近代化は家康のインフラ工事の賜といえるわけだ。なぜ関東平野が湿地帯かわかるかって。それは広重の『名所江戸百景』の三河島から日暮里を描いた絵をご覧ぜよ。丹頂鶴が二羽描かれているな。丹頂鶴が棲息していたということは、広大な湿地帯だったといえるだろ。
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